ICHINATSU IN LONDON

ロンドン在住2年目アラサーOL。海外生活やビザ取得までの流れ、日々の日常を共有します。

大学卒業~オーストラリア移住編

前回の記事では、自己紹介+過去の海外就労の歴史をざっくりまとめて紹介しました!

今回は、海外就労1カ国目オーストラリア編をお届けします!

大学卒業~オーストラリア移住編

 

大学卒業までの流れ

前回の自己紹介記事でも触れましたが、留年+2度の休学をした私は、大学卒業まで6年かかっています・・・・・

バイト漬けの日々で結局単位が足りず留年し、学費を稼ぐために、またバイト漬けというような悪循環に陥り、気がつけば就活の時期はとっくに過ぎ去りニート目前。

このままではヤバイと思いつつも、今更正規の就活手順を取ることは到底できず、フリーターで食いつなぐしかないのか・・・と覚悟仕掛けていた際に思いついたのが海外移住! 

 

どこかの国でワーホリをして本就職までの猶予を設けようと思い立ち、海外求人を探し始めます。

 

海外の求人を探し続ける日々

ワーホリ先で語学学校に行く十分な資金もなく、特にいろんな場所を旅したいといった思いもなかったため、ワーホリ中にフルタイムで働こうと決意。海外の求人をとにかく探し始めます。

Working Abroadや、ワールドポスト、LinkedInなどのサイトに掲載されていた求人に、片っ端から応募。特に「ビザ発行可能」との記載があれば、募集要項を確認することなく応募!
もちろん一件も返事が返ってくることなく、いよいよニートまたはフリーター生活を覚悟し始めた頃に、ある求人を見つけます。

ついに見つけた就職先!

オーストラリアの日系旅行会社がツアーオペレーターを募集しており、半年間オーストラリアで勤務した後は、いずれかの国へ2年間赴任しツアーガイド業務に就くといったものでした。

見つけた瞬間、「これだ!!!!!!!」と確信し、すぐに応募。全4回の面接を得て、内定を貰いました。

 

オーストラリア移住

翌月にはオーストラリアの北の街、ケアンズに移住します。就職先は、「日本の古い固定観念と上下関係」+「海外の企業だからという名目で繰り広げられるいい加減さ」がフュージョンした労働環境で、しっかりと新社会人鬱となり、3週間で7キロ痩せました(笑)

 

その後、一時帰国や退職検討、お局とのバトルや、なんやかんやを経ながら半年耐え抜き、次の赴任先へのチケットを手にします!

 

そして次の赴任先へ

次の赴任先は南米アルゼンチン!その他の選択肢として、ボリビアのウユニ塩湖で4ヶ月限定の赴任またはドバイ赴任などが挙げられていましたが、迷うことなくアルゼンチンを選択!2019年2月より、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの赴任し、現地支店長兼ツアーガイドとして勤務することとなります。

 

まとめ

今回の記事で伝えたかったことは、留年または休学して正規の就活ルートを取れなかった場合でも、なんとかなる道はあるということです(笑)
海外の企業の多くでは、「大学を卒業したという事実」が重視されるので、大学卒業までに何年かかったという事実は、あまり気にされないことが多いです。ヨーロッパ圏では、留年またはギャップイヤー(休学)して、旅行したり、留学する人が多いため、大学の所属期間は重視されないのだと思います。実際私も合計4社の海外現地企業で勤務しましたが、卒業が遅れた理由は一度も聞かれませんでした。

留年または休学したなら、海外就職したほうがいいよ!と推奨しているわけではありませんが、希望をなくすのではなく、選択の一つとして是非考えてみてください!

 

次の記事では、ブエノスアイレス移住編を書きます!

 

自己紹介 大学生活~海外生活6年目までの流れ

はじめまして!海外生活7年目・ロンドン生活2年目を迎えたアラサーOLのいちなつと申します。

 

2023年11月に無事ワーホリビザ(YMSビザ)からイギリスの就労ビザに切り替えることができたのをきっかけに、この経験が同じく就労ビザ取得を目指している人の参考になればと思いブログを解説しました。

 

今回は軽く自己紹介ができれば思います。

 

 

 

大学時代~就活

生まれも育ちも京都で大学を卒業するまでは、京都の片田舎で実家ぐらしをしていました。大学の専攻は英文学科だったため、英語に関連した授業を受けていましたが、当時の英語力はTOEICでいうと500点前後。ある程度の会話には参加できるけど、文法や単語力はお粗末というレベル。1年ほど留学生サポートのボランティアに参加していましたが、留学生は日本語を学びに留学してきているため、思ったように英語を学ぶことができず・・・・と言っている間に4年生。

 

バイト漬けの日々で結局単位が足りず留年し、学費を稼ぐために、またバイト漬けというような悪循環に陥り、気がつけば就活の時期はとっくに過ぎ去り、ニート目前。

 

そこで逃げグセのある私が思いついたのは、ワーホリをして本就職までの猶予を設けようということでした。元々留学したかったものの、経済的な理由で断念していたので、もうやるなら今しかないということで決意。

 

2018年~2019年 オーストラリア

いくつかの海外求人に応募し、2018年2月にオーストラリアにある日系旅行会社からオファーをもらい渡豪。この会社が一癖も二癖もあるトンチキ会社だったのですが、なんとか新社会人鬱にも耐えて、勤続1年目を迎えます。

 

2019年~2020年 アルゼンチン

そして2019年に同社から南米転勤の話をもらい、2019年4月にアルゼンチンに転勤。当時はスペイン語を全く話せず、若さと勢いだけで転勤を決めました。アジア人0の環境で、なんとか南米生活を耐え抜いていたところ、2020年に新型コロナウイルス発生。勤務先の旅行会社は倒産。急遽日本に帰国・無職になります。


2020年 新型コロナウイルス発生~シンガポール移住

約2年半の海外生活、特に南米のだらけきった勤務形態に身も心も染まっていた私は、日本の一般企業では到底働けないと自覚しており、また海外の求人を探し始めます。数社の面接を経て、2020年7月にシンガポールの現地企業に就職、シンガポールへ移住。当時のシンガポールはコロナ禍でロックダウンを徹底していたため、約1年半の勤務はフルリモート。一年中常夏・狭すぎる国土・厳しすぎるロックダウンで、シンガポールにすっかり飽きてしまい、別の国への移住を決断。

 

2021年 YMS当選~イギリス移住

決断した日の翌日が、2021年7月のYMS応募受付開始の前日で、たまたまTwitterで関連投稿を目にして、応募。まさかの当選を経て、2022年1月にイギリスへ移住しました。

2021年11月に日本へ帰国し、渡英前に京都の実家で就職活動を再会。そこでロンドンのオンラインゲーム会社から内定を貰い、2022年1月の出発まではリモートで勤務。その会社は中々のブラック企業で土日も休みなく働くことを余儀なくされ、2021年4月末日付で退職。

そして2022年6月に現在勤めている会社に就職します。この会社がビザスポンサーとなってくれ、2023年11月に就労ビザを取得することができました。

 

まとめ

以上、長々と書いてしまいましたが海外生活6年間の大まかな流れとなります。各項目の詳細については、それぞれ別の記事でご紹介できればと思います。
次の記事では、実際にYMS取得から就労ビザ取得までの流れをご紹介します。